概略
その概略
明治35年(1902)4月2日から5日まで、16の分科会が合同して第1回日本聯合医学会を上野の東京音楽学校において開催した。これを公式に本会の創設日とする。
第3回からは日本医学会と改称し、以後4年ごとに開催、今日に至るまで連綿と継続されている。ただ、昭和22年開催の第12回総会のみ、終戦直後のため1年延期された。その12回総会で日本医学会の常設・恒久化が決議され、昭和23年3月8日に改組途上の日本医師会と合体した。
日本医学会の活動は、あくまで学問中心で、その会員制度は学会単位の加盟である。現在、143分科会(別項参照:分科会一覧)を擁している。
メダルについて
日本医学会は1902年に現在のような形式で最初の会合を開きました。
日本の地形を囲む16本の帯は当時の加盟分科会数を表したものです。
日本医学会の目的
上述の合体後、公益社団法人日本医師会定款第8章第48条に「日本医師会に、日本医学会を置く」とされ、日本医学会は、日本医師会と密接な連携の下に、「医学に関する科学および技術の研究促進を図り、医学および医療の水準の向上に寄与する」ことを目的としている。
日本医学会の事業
日本医学会は上記の目的を達成するために、次のような事業を行っている。
(1)日本医学会総会の開催
(2)日本医学会シンポジウムの開催
(3)医学および医療に関する情報の収集と伝達
(4)その他学会の目的達成上必要な事業
歴代の日本医学会長
日本医学会総会
▼表は横にスクロールしてご覧ください。
総 会 年 表 | |||
---|---|---|---|
回 次 | 開催年 | 開催地 | 会 頭 |
第1回 | 明治35年 | 東 京 | 田 口 和 美 |
第2回 | 明治39年 | 東 京 | 北 里 柴三郎 |
第3回 | 明治43年 | 大 阪 | 青 山 胤 通 |
第4回 | 大正3年 | 東 京 | 大 沢 謙 二 |
第5回 | 大正7年 | 東 京 | 緒 方 正 規 |
第6回 | 大正11年 | 京 都 | 荒 木 寅三郎 |
第7回 | 大正15年 | 東 京 | 佐 藤 三 吉 |
第8回 | 昭和5年 | 大 阪 | 佐 多 愛 彦 |
第9回 | 昭和9年 | 東 京 | 入 沢 達 吉 |
第10回 | 昭和13年 | 京 都 | 森 島 庫 太 |
第11回 | 昭和17年 | 東 京 | 長 与 又 郎 |
第12回 | 昭和22年 | 大 阪 | 楠 本 長三郎 |
第13回 | 昭和26年 | 東 京 | 田 宮 猛 雄 |
第14回 | 昭和30年 | 京 都 | 松 本 信 一 |
第15回 | 昭和34年 | 東 京 | 内 村 祐 之 |
第16回 | 昭和38年 | 大 阪 | 今 村 荒 男 |
第17回 | 昭和42年 | 名古屋 | 勝 沼 精 蔵 |
第18回 | 昭和46年 | 東 京 | 冲 中 重 雄 |
第19回 | 昭和50年 | 京 都 | 平 沢 興 |
第20回 | 昭和54年 | 東 京 | 樋 口 一 成 |
第21回 | 昭和58年 | 大 阪 | 吉 田 常 雄 |
第22回 | 昭和62年 | 東 京 | 中 尾 喜 久 |
第23回 | 平成3年 | 京 都 | 岡 本 道 雄 |
第24回 | 平成7年 | 名古屋 | 飯 島 宗 一 |
第25回 | 平成11年 | 東 京 | 髙 久 史 麿 |
第26回 | 平成15年 | 福 岡 | 杉 岡 洋 一 |
第27回 | 平成19年 | 大 阪 | 岸 本 忠 三 |
第28回 | 平成23年 | 東 京 | 矢 﨑 義 雄 |
第29回 | 平成27年 | 関 西 | 井 村 裕 夫 |
第30回 | 平成31年 | 名古屋 | 齋 藤 英 彦 |
第31回 | 令和5年 | 東 京 | 春 日 雅 人 |
第32回 | 令和9年 | 大 阪 | 澤 芳 樹 |